三峡藍染の歴史
開墾時代初期、染物業は近くの住民の需要を満たすという役目であったが、道光元年に、染物屋という自己生産、自己販売の「農業社会における簡単工業」は既に三角湧街で現れ始めた。そして同治、光緒時代に規模が増大して、日本の明治、大正時代にでも三角湧の染物業はまだ盛んであった。
当時の染物業は「文武市」という形式で営まれていた。「文市」というのは小売であり、「武市」というのは卸売である。当時卸売業務の範囲は北部だけでなく、更に中南部まで広まっていた。店舗での販売だけでなく、商人は布を担いで他の都市へも取引に行き、桃園、中?、新竹付近の客家人が住む村で商売を行っていた。そして店舗前部のスペースは染物の販売をしているが、奥は布を染める場所として使用されていた。また店舗が通り沿いの両側にある業者は、常に染めた布を川で洗って晒していた。
当時の三角湧山地に染料の原料である「馬藍」が群生していた。そのうえ、水が透き通った三峡渓で布を水洗いしたり、岸で布を日光に晒したりできるため、現地で染物業は非常に繁栄していた。なお、その時淡水河の便利な水運を利用して、三角湧で染めた布を萬華経由で大量に廈門、?州、福州、上海などに輸出も行われていた。上述したように、とりわけ恵まれた資源によって、染物業が発展するためのすばらしい環境が生まれた。故に染物業は当時の市場でだんだん三角湧街の特徴的な業種になっていった。
したがって、清朝末期に三角湧が漸く台湾北部で最も重要な染物業の中心となった。古風で素朴な三峡古街を訪れてみると、染物屋の門構えが至る所に林立していることがわかる。その規模の大きさから、当時の台湾北部で唯一の染物街と言っても過言ではない。染色技術が日に日に完璧となっていって、店舗によって多種多様の技法や門外不出の秘訣も開発された。三角湧の染物業の発展は、この時期最も盛んな段階に入っていた。

藍染文化の保存と普及に取り組んでいる三角湧文化協進会

三角湧文化協進会は三峡の旧地名にちなんで命名された。メンバーの大部分は地元の住民である。この協進会の前身は1994年に結成した「三角湧文史工作室」であり、その後多方面にわたる事業を推進するため、1996年に現在の「三角湧文化協進会」に改編した。この協進会は、三峡における文化資産を研究、保存することを通して、町の文化、教育及び生活の質を向上することを趣旨としている。現在は、三峡藍染文化を普及させること、また地元文化を解説することが主な事業活動である。
「三峡染工坊」は協進会によって2001年に設立され、三峡地区の主婦たちが藍染を学んだり制作したりする染物作業場である。ここで手工芸品が販売され、藍染の制作を習得できるほかに、三峡を訪れた人々が藍染め体験も楽しめる場所になっている。



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台北県三峡鎭三角湧文化協進会
〒237 台北県三峡鎭民権街84巷2号
TEL (02)2671-8058
FAX (02)2671-7608



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三峡染工坊
〒237 台北県三峡鎭中山路20巷3号 TEL (02)8671-3108
藍染め体験時間(団体様のご予約は平日のみ20名以上から承ります)
毎週土日、朝10:00〜午後4:00
営業時間(月曜定休) 朝10:00〜午後4:00 ガイド予約可

 

藍染め、古街、三角湧 三峡商圏公式サイト

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